2018-02-19 第196回国会 衆議院 予算委員会 第13号
琴平電気鉄道も経営がそんなに楽なわけではない。 しかし、高齢者の方々がますますふえる中で、どうしてもやはり自家用車というのには限界があるわけです。タクシー等々は、需給調整もあり、それなりに地域では落ちついているんですが、今、小嶋会長の話をお聞きすると、完全に自由競争ということで認可がされてきたというようなことだと思います。
琴平電気鉄道も経営がそんなに楽なわけではない。 しかし、高齢者の方々がますますふえる中で、どうしてもやはり自家用車というのには限界があるわけです。タクシー等々は、需給調整もあり、それなりに地域では落ちついているんですが、今、小嶋会長の話をお聞きすると、完全に自由競争ということで認可がされてきたというようなことだと思います。
事務所が、ここにありますね、郵政福祉琴平ビル。虎ノ門の一等地にあります、文科省から歩いてすぐ。これは事務所を維持するだけでも大変だろうなと思ったわけです。 少し気になったのが、この次なんですけれども、まさに郵政琴平ビルの三階にこの文教フォーラムはあるわけですが、この写真は私が撮ってきたものです。一般社団法人文教フォーラムと書いてありますね。
JRバスもありますけれども、これはさらに輪をかけてひどくて、八九年から九八年までに、主要な幹線、例えば香川県の観音寺—善通寺間とか、琴平線とか、愛媛県の川之江市と三島市の間の線とか、日吉—宇和島線とか南予線とか、非常に重要な路線が次々廃止されていて、その距離、十年間で四百四十キロに及ぶ、そういう状況でした。
○説明員(山田直重君) ただいまの先生のお話にございました件でございますが、五月八日、小豆島内の主要地方道、土庄神懸線、これは通称小豆島スカイラインと言っておりますが、ここで香川県立琴平高校野球部のマイクロバスが転落いたしまして、死者二名、負傷者十六名を出したという事故が起きたということを香川県より報告を受けております。
第五に、中小民鉄対策につきましては、鉄道軌道整備費等補助金として、北海道ちほく高原鉄道株式会社ほか三十一事業者に対し十二億六千四百六十四万円余、鉄道軌道近代化設備整備費補助金として、高松琴平電気鉄道株式会社ほか二十四事業者に対し六億四千七百十七万円余を交付いたしました。これによりまして、中小民鉄の維持改善を図り、地域住民の利便を確保いたしました。
具体的に申し上げますと、在来民鉄におきましては、一つは昭和五十一年八月一日に高松琴平電気鉄道志度線において発生した正面衝突事故でございますが、そのときは負傷者が二百三十名ということでございます。次に、昭和五十九年六月二十九日に岩手開発鉄道日頃市線で発生した正面衝突事故でございます。負傷者は二名でございます。
また「瀬戸大橋開通に伴う宇高連絡船を含め、離職船員対策の問題もあるほか、地元の町から、宇多津駅への特急列車等の停車、琴平方面への岡山からの直通列車運転の要望があったことを申し添えておきます。 次に、四国旅客鉄道株式会社の経営状況について御報告申し上げます。
○説明員(林淳司君) 四国におきますところの複線、電化の問題でございますけれども、これにつきましては本年の三月に予讃本線の高松−坂出間、それから多度津の観音寺間、それから土讃本線の多度津と琴平の間、この間の電化が完成をしたわけでございまして、これは分割・民営化に伴いまして、従来四国におきましては複線化率ゼロという状態でございましたので、その辺の経営基盤の強化という点も考えまして、六十一年度においてこれを
他方、会社におきましても、例えば電化というのは今後は無理だというような先生方の御意見が多かったわけでありますけれども、私は、これは地域のニーズに合致するだけではなくて、鉄道経営そのものの効率化にもつながるわけでありまして、琴平—観音寺だけでなくて、今後さらにこれを延長することによって鉄道経営の効率化が図られるというふうに考えておるわけであります。
また、四国の輸送力増強というものがおくれているという御指摘をいただいたわけでありますが、私の聞きましたところでは、現在主要なプロジェクトとして予讃本線の坂出—丸亀間の線増工事あるいは予讃本線高松—観音寺間、土讃本線多度津—琴平間の電化工事を行っており、電化工事については、坂出—多度津間を除く区間については六十一年度中に完成をする、その予定を報告を受けております。
そこで、関連事業との関連づけでございますが、先週、高松—多度津—琴平という四国の電化、多度津までは複線化でございますが、その工事の様子を見てまいりますと、今工事は進んでおります。進んでおるのは鉄道の工事だけでございます。一体香川県はこれをどう利用するのか、その計画があるのかないのか。
私も昨年知事さんの香川県の金毘羅さんで名高い、その近くにあります琴平町榎井というところを訪ねました。連絡線をおりましたら、発車間隔が琴平線は一時間に一本ということでございます。私は琵琶湖のありますところですけれども、内水面漁業をやっております漁業協同組合でさえが、総会を始めます前にはまず金毘羅さんを拝みます。当然のこととして、年に一回お札を受けに行きます。
そういうところも私どもは見て、例えば高松の高松琴平電鉄であるとか下津井鉄道であるとか、あるいは九州の鹿児島交通であるとか、いろいろなところへ行ってその現状を経営者の方から経営の御苦心というのを伺ってきておりまして、単に図上だけで判断をしておるのではないということを御理解いただきたいと思います。
四国の鉄道は御承知のとおりでありまして、明治二十二年に琴平−坂出ができて、それから明治三十年ですか高松へ延びて、高松を中心にして、松山へ向かって予讃線、徳島へ向かって高徳線、それから高知へ向かって土讃線という形で広がっていくわけですね。大体松山が昭和の初め、それから予讃線の終点は、私などの出身地でありますが宇和島、太平洋戦争の時期、昭和十五、六年ごろに開通した。
これは主として香川県と徳島県を結ぶもの、あるいは香川県内で琴平から豊浜の方に向かうものといったような補助国道があるわけでございます。これらもそれぞれ整備を進めておるところでございまして、中にはトンネル等が残っておるものもございますが、予算の状況等によりますけれども、私どもは鋭意進めていく所存でございます。
それから五十四年度は香川県琴平、松山市、宮崎市。それから五十四年の十一月は群馬県の水上町、海がないと思うのだけれども。新潟県の豊浦町の月岡温泉。五十五年度も、全部言えませんけどね、神奈川県藤沢へ行っている。熊本県本渡市へ行っている。それから高知県は土佐清水、松山、そして足摺国定公園で泊まっていると、こうなっている。
しかし、コンサルタント料の三十万はどうにもならないから、二百八十万準備しなさいと、あした私は琴平の観光センターで会議をやっているから、あしたその金を持ってきてください、九月の二十七日にはちゃんと上京して手を打ってくると、こういう段取り。そこでその農民の和田真成さんという人は、あわてて翌日二百八十万を準備した、いま持っていくといって。
もう多度津町というのは、昔は、これは歴史、沿革を言うと長くなりますが、金比羅街道になりましてね、森の石松なんかが上がったのが多度津港で、琴平へ行ったわけですよ。ですから、そういういんしんをきわめた港町なんです。
それが、言うならば大平さんが琴平で、本当ならばもうここでは自民党は政権をかわって野党に渡すべきだけれども、野党の方はどうも受けざらがないようだから、これは自民党の一体化を図って、何とか政局を打開していく以外に道はないかのごとく述べられたように——聞かれたから答えられたのかもしれませんが、どっちでも、そういう趣旨のことが報道されておるわけでありますが、それは一体どんなお気持ちでしょうか。
本当にご存じないとするならば、また後で改めて伺いますけれども、第二に、恐らくこれはあなたが琴平で記者会見をやられた際に、私の読み方が間違っているかもしれませんが、新聞を通して、いまや三木政権ではこの事態は乗り切れないであろう、国会もなかなか問題である。
なお、本件視察に際し、松山市において、高松陸運局から高松琴平電気鉄道株式会社に係る志度線今橋駅−松島二丁目駅間の列車衝突事故について事情説明を聴取しましたことを申し添えます。 最後に、今回の調査に当たり関係者の御協力をいただきましたことを心から感謝申し上げ、御報告を終わります。 以上です。
ことに、この七日に選挙区の琴平町で記者会見をして語られた御所信は、憶測によるものではなくして、大臣の口から出た言葉そのものでありますので、その意義は重大であります。私もテレビで大臣が一語一語かみしめるように語られたのをお聞きしたわけであります。